色々あるけど親の愛情はやっぱり感謝しかない
妊娠、出産を経て三男が無事誕生し、4か月が経ちました。
また、バタバタとなかなかでしたが1年ぶりにやっとブログを書く気力まで回復。
そして、
1年前に書いた記事が下書きのままになっていました!!!
せっかくなので投稿しようかと思います。
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妊娠が分かって、産むと決断し、次に、したこと。
出産で入院する際、どうしたってお世話になるであろう実母への報告。

なるべく軽く、面白く伝えようとした結果↑↑↑
そして返信が↓↓↓

誰が?に対して、何その返信?私でしょうよと思いながら黒塗りつぶしの箇所は私の名前が打ってあります。そして直後、一番ダメなパターン!!
と返信がくるのです。。。
絶句、というか、もうなんて返信していいのか?
この歳で3人目妊娠があかんのか?
喜ばしくないのか?
お手伝い無理やでってこと?
夫に、「声に出すのも厳しい返信きたわ」とメールを見せました。
夫「お母さんらしいな。どこまでもお母さんやな。」
私「まず、人として、おめでとうよね…。でもそんなこと期待してるから期待通りじゃない返信に勝手に傷ついているだけよね。」
夫「ブランコ理論思い出そ。」
※ブランコ理論:嫌な体験、ネガティブな感情の大きさが大きいほど、喜びが大きくなること。ブランコのように、後ろにひくふり幅(ネガティブ感情)が大きい程、前へ高く飛ぶ(ポジティブ感情)
はい、どう捉えるか。子供達にもいつも言っていること。傷つくという選択をするのか、気にしないという選択をするのか。相手の意見を採用するかしないかは自分で選べるということ。
気持ちを立て直しながらどう返信するのか迷っていたら、

??????????
待って。マイマザー、コロナ陽性と勘違いしてる????
もう、爆笑です。実母は介護施設で働いており、利用者さんが日々感染され、頭がそれでいっぱいだったのだと思います。だとしても、間違う???
もう思わず、ハリセンボンの春菜さんツッコミをかましてしまいました。

基本、会話の表現方法は淡泊なので、「授かりものだね」という返信にてやり取りは終了しました。
そして翌日いてもたってもいられなかったのか、実父が急に我が家に現れました。
ちょっと寄った、と。ちょっと寄る距離ではないのですが。(車で40分程)
実父が言うには、お母さん、昨日おもろかったでぇと。
私と実母がメールのやり取りをしていた時、実父と「孫たちが大きなってきたから、黒いラブラドールでも飼おうか?」という会話をしていたそうですが、実母が、「娘(私)が3人目妊娠したみたいよ!!女の子やったらお金かかるから犬どころやないわよ!!!」と興奮していた、と。
コロナ陽性のお知らせだと勘違いしていたところ、妊娠反応陽性のお知らせだったという、天と地のようなテンションの違いだったとか。
そして、実は産むかどうか少しは悩んだんよ~という話しをしたところ、実父も、
「昔、子供は2人でええと思ってたんや。でもポッとお前ができた。そんなん育てるしかないやん。予定してなかったけどできてんから。でも、お前がいなかったら孫は2人。お前がいたから孫が5人になるかもしれへんということやろ。お前の3人目、きっと女の子やで。1媛2太郎というやろ。」(私は男の子2人育てています)
こんなに喜んでくれるとは思っていなかったので、感動しました。
ブランコ理論かもしれません。「一番ダメなパターン」という返信からの~だったので私自身、安堵したのかなとも思います。お互い勘違い。
わが両親、日頃から言動はまぁ淡泊なのです。でもいつだって行動で、愛情を示してくれていました。それには大人になって気が付きました。
産む予定のなかった娘が3人目を妊娠した。実父は思わず翌日娘宅を尋ねた。
それだけで愛情を感じます。
実母はまだ見ぬ3人目に思いを馳せ、入院中は孫の送迎に行かなきゃ等話してしると。
まだ頼んでもないのに。
また、行動で愛情を注いでくれようとしてるんだなぁと。
私には6歳上の姉と8歳上の兄がいて、私がいます。(3きょうだい)
私のお腹に居る子が無事産まれたら、6歳上と8歳上の兄がいることになります。
ささいなシンクロも、偶然じゃないと思えばなんて楽しいのでしょう。
そもそもこの世に偶然なんてないという考えを採用していたところでした。
必然だよ、と教えてくれているかのようなタイミングでした。
「偶然はない」と考えること、私は好きです。正観さんの教えです。
また、記事を書いてみようと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました(*^^*)
人生の中で出会った人は、自分が引き寄せた人です。
年末からつわりでぐったりしていた私です。
今日は気分がよく、私のバイブル、
「引き寄せの法則」エイブラハムとの対話
を読み返していました。
その中の一文〝人生の中で出会った人は、自分が引き寄せた人です”に、思わずこれまで出会った人達を思い浮かべ、そうなんだぁと妙に納得したのです。
私の場合、子供のころから付き合いのある友人が数人います。
子供のころに出会う友人なんてただの偶然。確かに。
でも、それでも今も(20年以上)年に数回連絡を取り合うということは、子供の頃の自分が引き寄せた友人たちなんだ、と。そう考えると、これからも大切にしたいなぁと心から温かい気持ちが沸き上がりました。
そして、大学時代には人間関係が上手くいかず、数々のアルバイトを経験。
友人たちにもなんであなたの選ぶバイト先はいつもそんな変な人がいるの?と心配されるほど…。
ことごとく毎度、孤立したり恐いお局がいたり厳しすぎたり…。
どこに行っても上手くいかないので、自分に原因があるんじゃないかと自己嫌悪に陥り、ネガティブ思考が加速したのが十代後半~二十代前半でした。
そして就職した先に人生における大ボス登場。
これまでのバイトのようにここで簡単に辞めたら、これから先、どこへ行ってもどんどんこれでもか⁈と、大ボスを超える大ボスが現れるような気がして、毎日をこなす日々。私はその大ボスを4年半かけて乗り越えたのでした。
乗り越えたというのは、最終的には大ボスからも信頼を得た上で円満退社したという意味です。私が入社して以降は誰一人1年と続かず、10人くらい見送ったのではないでしょうか(^^; ほんと、そこまで頑張る必要はなかったのかもしれませんが当時の私には必要な経験だったのだと思います。
今考えると、あの方も、間違いなく、自分が引き寄せたんだなぁと確信。
ほんと、妙に納得なんですよね。
エイブラハムは言い切ります。
人生の中で出会った人は、自分が引き寄せた人です。
その人と体験することも全て自分が引き寄せているのです。
だから、今あなたがどんな人と関わっていたとしても、その人の好きな部分にだけ意識を向ければその部分だけを招き入れることになると。
意識を向けなければそれが自分の人生に入ってくることはない。
んん~。何回読んでも感慨深い。
今自分の周りにいる人たちも、自分が引き寄せた人たちだと認めること。
そして、その人たちの見たい部分、その人たちと体験したい事だけに意識を向ければ、何も恐くないということ。意識を向ける。自分が何に意識を向けるのか。
自分の現実は自分が創造できるということを忘れないでおこう。
最後までお読みいただきありがとうございました(*^^*)
36歳予定外の3人目妊娠 受け入れるまでの心の過程。
私の妊娠歴について
1人目(小1):不妊治療 タイミング療法にて授かる
子宮内腺筋症、悪阻極悪、促進剤使用、会陰切開されるも内部ビリビリ
予後不良、産後2か月はボロボロ
2人目(年中):自然妊娠 前回より楽なお産。恐らくこれが普通なのか?
2人目の陣痛時、いきむ時、人生最大の痛みはこれで終わり‼‼
絶対終わるから大丈夫よ私‼‼と強く思う。その時の感情はありありと思い出されます…
そして二人を出産してからの私は病気のデパートのような状態となり、一時大変でした。もし、万が一3人目妊娠したらと考えると、絶対産まないというか、産めないと思っていたのでした。
生理が来ないからの陽性反応
あれ?最近大体30日前後できていたのに、しかもそのあたりに腹痛あって、「キタ」って思ったのに、一向に出血しないではありませんか。ソワソワ。
この間、今思えばすごく謎のイライラと不安感に襲わていたんですよね。
おかしいなぁと思っていましたが、時々ムカムカする気が。予定日より1週間過ぎたあたりで居てもたってもいられず検査薬を求め薬局へ走ったのです。
夕方の薄い尿で陽性反応。やっぱり………
絶対産まないと決めていたのに、実際に目の当たりにする事実にただぼーぜんとし、こんな時こそ今に心を置くと書いて念を入れて生きるを思い出し、
洗濯物を取り込んで、夕食つくりに集中することにしたのです。
夫との会話
まず、検査薬を見せました。「・・・・おめでとう?やな。」と。
クエスチョンマークがついていたにせよ、第一声のおめでとうという言葉に、
何故か泣きそうになっていました。産むか産まないかを真剣に話し合いたいと考えていたから。
私「おめでとう?産まない選択肢はないってこと?」
夫「毎日毎日俺ら、ずっと話してるやん。何が起こってても全て受け入れる、委ねるってことちゃう?」
私「確かに。それを言われると。産まないという選択肢を選ぶとき、それは頭で色々考えてるってこと。もろに抵抗してるってことやもんね。はぁー--。そっかー--。」
夫「どう捉えるか選ぶ自由がある。どんなことも楽しむ精神。どちらの選択がワクワクするか」
私「・・・。( ;∀;)」
この時、エイブラハムでいう、感情のスケールが上に駆けあがっていました。

上にいくほど、波動が高く、下に行くほど波動が低い状態で、私は14,15あたりにいましたが、夫との会話で少しずつ感情が変わっていき、喜び、感謝にまで達していました。
全ては起こるべくして起きていると考えてみる
私たち家族は10月末にコロナ感染。その時に私も夫も軽くファスティングをしました。
ファスティングによって妊娠し易くなると聞いたことがあります。
感染後すぐ回復し体調良好となり、1回だけ覚えがあるんですよねぇ。その1回で。。。驚。
感染したから妊娠初期の今、数か月は免疫獲得したということですよね。
うまいこといってるなぁと。
そして来年度もまた幼稚園の役員をすることになっており、気が重いなぁ、やらないといけないのかなぁ、嫌だなぁと思いつつ気持ちを整えて、最後の幼稚園year楽しもう‼‼と腹をくくっていました。いかに楽しむかゲームだな、成長するな、楽しみだな。
幼稚園の役員………それは、ママさんバレーのキャプテンでした。
バレーボールは………さすがに出来ない( ;∀;)
なんて言おう、悔しい、罪悪感、という気持ちと、肩の荷がおりた、という安堵感。
このタイミングで妊娠することになっていたのか?
精神世界を学んでいなければ、産まないを選択し、そして自己嫌悪に陥っていたと思います。
産まないを選択するときに頭で考えること
- 単純にしんどい、
- 母乳あげるの、乳首慣れるまで痛いねんなぁ
- 卒乳も地味に大変やったなぁ
- 寝不足で気持ちに余裕なくなる自分になるの嫌やなぁ
- 日本人の平均年収世帯で私専業主婦してるっちゅーねん
- 布団汚されると始末の仕方が未だに分からんくて憂鬱やねんなぁ
- 自分の行動範囲、休日家族のお出かけ場所もまた変わるなぁ
- 親戚に不妊治療してる人いてだいぶ相談受けたなぁ
- 子供達の習い事の送迎関係に対応できるんかなぁ
- 子供達の行事で赤ちゃん連れて行かなあかんのかぁ
勝手に思考が働く、止まらない…キリがなくマイナス面にフォーカスしてしまう私。
自分で言うのも何ですが、人のことを優先する性格、私が我慢することで、私が我慢することでスムーズにいくのであれば何でも引き受けてしまう性格。
人からの視線、人からどう思われるかということに関してかなり克服してきたつもりですが、この3人目妊娠問題は最終レッスンのように感じました。
たくさんの人に頼ろうよ。
もっと自分優先に生きてみてもいいんじゃない?
3人の子育てで憧れの肝っ玉かぁちゃんになれるよ。
どーにかなると心に決めれば、きっとどーにかするに違いない。
自分を信じて。
エイブラハムは、感謝・愛が本当の私の状態だと言っています。つまり、不安、罪悪感、心配の感情は、本当の私が考えていることからズレているよと教えてくれているのです。
感謝、愛、喜びが私たちのデフォルトなんですって!
感情は、デフォルトからズレていると教えてくれているだけ。
その指標。
心地悪い感情に気付いたら、少しマシな感情となるように思考を調整。
なぜ、良い気分を目指すのか?
良い気分、つまり、一番波動が高い状態、感謝、愛の波動でいることが、
願いが叶う波動と同調することだから。
知っちゃってるからなぁ〜
宇宙の法則、知っちゃってるからなぁ〜笑
「本当の私は、産みたいんだなぁ〜」
声に出して見たら、涙が出て溢れてきました。
私は産みたいんだ。
人生に起こることに抵抗しない。
オールを手放す。
どう捉えるかは自分が選べる。
「産まない/産む」どちらが心地いいか。
「産む」
この年齢で授かったんだもの。
地球にきたくてきたくて堪らない一つの魂があのお母さんにしよーっと、と
私は選ばれた。
エイブラハムと正観さんの教えのお陰で、穏やかでいられるようです。
地球ゲーム、楽しんでいます‼︎
サムシンググレート、ありがとうございます‼︎
最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^)
この際、損得勘定でマシな気分になる思考を選択しようよ
コントロール出来るのは自分の思考だけ。
何度目!?と自分でも突っ込みたくなりますが、いつも自分にアドバイスすることは、人をコントロールすることはできないということ。
肝に銘じてもいいレベルです。
そして周りには、人をコントロールしたい欲と、こういう場面ではこういう態度をとるものだという期待をする人だらけだということ。もちろん、私も少なからずまだ多少はあります。
知人が、あの人の発言が気に入らない、嫌な気持ちになる、腹が立つ、そんな話しを聞くことがあります。当然前後の経緯等を聞くと、そう言っている知人の気持ちに共感しますが、同時に、こう言って欲しい、このような言い方、態度を取ってほしいという期待をしているから腹が立つんだよなぁと思うのです。本当に共感するんですけどねw。
気に入らない態度、発言をされて、
腹が立つという選択もできるし、
スルーするという選択もできる、
気にしないという選択もできる、
自分の感情、思考を自由に選ぶことができる。
そう、選択の余地があると。
気分が良い方が自分にとって楽なので、少しでもマシな思考の選択をするだけ。引き寄せの法則で言えば、フォーカスしたものが引き寄せられるのだから、常に「今」の思考が引き寄せられるのですよね?
もうこりゃぁ、少しでも良い気分になる思考を選択した方がお得じゃないですか!!
損得勘定ですw。
そして、その人を変えようとしなくていいよ、と自分に言ってあげたい。
もう一つは我慢しなくていいよ、とも。
この際、損得勘定でマシな気分になる思考を選択をしようよ。
大好きな知人の気持ちが崩れていて、一緒にランチしましょうということに。
とにかく傾聴しよう!!と考えていましたが、如何せん、私は傾聴が苦手。
「私は傾聴が苦手」というレッテルを自分に貼らなくてもいいのかもしれませんが、
実際当日、知人は傾聴上手な方なので、話を聞きつつも聞ききれず、私が半分くらい話していました。(^^;
当然自分で気が付いていましたが、こうなったらそんな自分に許可ですよ。
人を変えようとしなくていいし、自分だってありのままの自分でいいじゃないですか。
傾聴したいという気持ちはありましたが、傾聴上手な知人相手には十分な傾聴はできず。でもとても思慮深い知人の立場になってみれば、それもよかったのかな、と。
自分ばかり話すと、私ばかり話してごめんねと、罪悪感を持ってしまうような方なので。
モヤモヤ会
「モヤモヤ会」と称したそのランチ会は、ただモヤモヤしたことを吐き出す時間とはなりませんでした。
お互いが交互に、思っていること、どういったところにモヤモヤを抱えていたのか、特定の人が話題に上がりましたが、その方に対するモヤモヤは個性の一つであり、捉え方だという話し、こちら側の問題、その方に問題があるわけではなく、問題だと私たちが捉えているよね、という方向性で話し合えたことがただの悪口?のようにならなくて気分が良かったです。でもそれで終わらず。
相手をコントロールする事はできないし
変えられないのは分かってる。
それでも、言いたいことは言いましょうよ、と。
言わずに放置する方が気分がいいのか、思っていることを伝えてみることが気分が良いのかを話し合い、一度話題にあがった方を誘って一緒にランチして伝えてみようとなりましたとさ。
迷った時は
have toかwant toかを問うのがいいと思います。
「ねばならない」か「したい」か。
立場的に伝えねばならないから伝えるのか。⇒しなくていい。
本人に私が伝えたいから伝えるのか。⇒すればいい。
さてどうなるか。
次はその方が気分が崩れるかもしれません。または話が伝わらないかもしれません。
でもそれはその方の問題。その方だって、自身の感情・思考を選ぶことができるんですから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました(*^^*)
子供がお金を拾って帰ってきたら。
学校から小1男児帰宅。
「お母さーーーん!!102円拾った!!」
お友達「汚いで!それ、捨てた方がいいんちゃう?それ、お母さんに渡した方がいいで!」
拾ったお金が気になって仕方ない様子。
お友達に色々言われて、何か罪悪感を持ったのか、お友達とバイバイした後、長男はお母さん102円…と私に渡そうとしました。
でも、私は受け取りません。
「それ、長男が拾ったの?そうなん⁈助けてあげたんや!!いい事したねぇ!!
お金は汚くないよ。
お金さんが聞いてるから、お金さんが悲しくなること言うたらあかんよ。
汚かったら洗ってあげたらいいよ。
100円玉さんと1円玉さん2枚、長男が助けてあげたんやから、自分か誰かが喜ぶようなことに使ってあげたらいいんやで。
お金さんは喜んで使われることが大好きなんよ。
これからも落ちてるお金さん見つけたら助けてあげられたらいいね。
お金さんに好かれたらどんどん長男に集まってくるよ。」
うん、いいお金の教育が出来ました。
正観さんが1円を拾うことを、助けると表現されてお話ししていたことを思い出し、素敵だなぁと思っていたのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました(*^^*)
この世があの世であの世がこの世なんじゃないか
私が最近ハマっている考え方
精神世界、スピリチュアルの本、色んなものを読んだり聞いたりしています。
全てを信じるわけではなく、その考えを信じた方が「私が楽しい、私が楽になるもの」を採用しているのですが、ほんとにオススメしたい考えがあります。
それは、この世があの世であの世がこの世なんじゃないかってこと。
どういうことか説明させてください。
私は、死んだらあの世へ行く、もしくは魂が宇宙へ還ると思っていました。
でも、色んな話を聞いて思ったことは、全て逆なんじゃない??!!ということ。
色んな本を読み、
「死んだら終わり、無になるだけ」という考えから、「魂は永遠で、また生まれ変わる」という考えに変わりました。そのうえでの話です。
死んだら行くところが本当の世界で、私は今、地球に身体という肉体を持って
色んな感情を味わうという体験ゲームにきているのではないか、という考えです。
嫌な気持ちになった時、何かピンチが訪れた時、今、地球ゲーム中だということを
思い出すだけで、フッと力が抜けますし、何よりエイブラハムオススメのコントラスト(ネガティブ感情、体験)からフォーカスを外すということがし易くなるのです。
家人に報告。
本当は死んでから行くところが本当の世界。
藤井風さんも「全て忘れて帰ろう~♪」って歌ってるように、本当はあの世が私たちの世界やの。で、地球ゲームやってみたいなぁ。体験してみたいなぁ。肉体を持つってどういうことかなぁ。と、ワクワクしながらやってきたのがこの地球にいる私。
そう考えると、めっちゃ楽しいし心が楽になるし深刻になることは何もないって思える‼‼
いいなぁその考え。
なんでも受け入れてくれる我が家人。大好きです。
そんなこと、表現が違うだけでエイブラハムも言っているし他のスピさんたちも言っていることなのでしょうけど、「全て逆やねん」というのが私にとっては自分が思いついたお気に入りの言葉。
毎晩のように夫婦で気が付いたことを話し合う毎日。もっとブログに記録して忘れないようにしたいし、誰か1人に響いて、そんな考えもあるんだなぁと楽になってもらえたらなぁと改めて感じました。
最後までお読みいただきありがとうございました(*^^*)
開運マイブームがきていたけど、結局マインドが全てという話。
夫の祖母という存在
夫の祖母は87歳で間もなく米寿を迎えます。我が家から車で10分の距離の一軒家に独居で暮らしています。そして、義祖母の最大の特徴は多趣味ということ。陶芸、さおり織、洋裁、発明…とにっかくアグレッシブ。
毎日忙しそうにしており、来客も多い。総じて言えることは「モノづくり」が大好きな方です。そして大体が同時進行なので、とくかく家中がモノだらけ。
特に生地関係が一番多く、埃が多いので週に何回かは市からお掃除の方がきて掃除をしてくれているそうな。私自身これまでもお片付けを申し出てはお手伝いをしていますが、私からすれば、片付け・掃除・整理整頓には程遠く、毎度、【モノの移動】をしているだけ。
こだわりも強く一から十、全てに口をはさむのでなかなか作業も進みません。他にも、人の話は聞かない、発言が自由、やりたいことだけをやる生活、真夜中まで洋裁をして「昨日寝たんA.M3時やわぁ」等は日常。ポジティブ。どんなこともウジウジ悩まない。メンタルモンスター。まぁ、レジェンドです。夫とは、生きているご先祖様だと言っています。
掃除は開運
私は、整理整頓・掃除が好きな方だと思います。上手いかどうかは別として。
精神世界や神様、宇宙理論等の探求をしていると出てくるのが掃除が開運にもいいということ。そして私自身、腑に落ちていることでもあり、さらに掃除が好きになったのです。単純に気持ちがいいですし。
実際に、うつ病患者さんに毎日トイレ掃除をしてくださいとお願いし、実践された方というのは改善傾向があるとか。何度か書籍で読んだり、「トイレ掃除」で検索して出てきた文章を読んだだけですが。なので、何故かということまでは色んな見解がありここで断言できません。ただ私の理解では、トイレ掃除をすることで、「トイレが綺麗になる」というシンプルな事実により、単純に自己肯定感が上がるのではないか?ということ。他にも、磨くという行為は自分の心を磨くのと同じだとか言われますよね。
とにかく、綺麗にしている家や場所であるほど、いい気が流れているし実際に良い気分になりやすい。家の状態はそこに住む人の心の状態。
これは、近年完全にそう思って生きています。
そこで出てくる疑問が義祖母だったのです。掃除と開運について調べて学ぶほどに、おかしい。という感想になるのです。モノで溢れかえった義祖母宅。定期的な掃除はなされているものの、モノの奥に潜む埃。なのにどうして義祖母は毎日元気で楽しそうで幸せそうでしかも金銭的にも豊かなのだろう…と。
どんな心持ちで生きているかが一番重要なんだ
月3回ほどはお手伝いに行く私。今日はお決まりのモノの移動と、掃除機、雑巾とトイレ掃除をしました。2階のトイレが汚すぎて、驚かせようとワクワクした気持ちでピカピカにしました。そう、私は掃除する度に綺麗になっていく様が気分良く、ただ、掃除が好きなんだなぁと。で、その空間やモノを使う人が心地よく過ごせたり使うところを想像して心がウキウキして楽しいのです。
義祖母はモノだらけなこと、整理整頓ができないこと、掃除が好きではないことをほんの少し気にする瞬間があります。そんな時は私にこう言うのです。「やることがいーっぱいある人(自分)とか職人さん、勤めている人の家はみんなぐちゃぐちゃよ。出来へんのよ。時間もないしもう疲れているから。」
いつも聞くセリフでしたが、今日はこのセリフが私の気付きとなりました。
言われている時は、「家の中にモノがなくて綺麗に掃除も行き届いている人は、大体やることがない暇な人なのよ」と、かつて言われて少し癇に障った言葉を思い出していましたが、そうじゃない。気持ちがいいから、開運に繋がるから、住んでいる人、来客者にもいい気持ちになって欲しいと思うとワクワクして楽しくて掃除しているのです。
時間があっても暇していても、掃除がしたくない、楽しくない人は最低限しかしないのではないでしょうか。
義祖母は好奇心旺盛でやりたいことに真っ直ぐ一直線。ずっとそう生きてこられました。掃除しなくても気にならないほど、それどころやないというほどに、情熱的になれるものがある義祖母。多少汚かろうが気にならないし関係ない。
私や他人にとってはただの「モノだらけ」という乱雑な言い方となってしまう「モノ」たちも、義祖母にとっては宝の山で捨てるなんて考えられないし、これに使える!あれに使える!と、疲れる空間ではないのでしょう。
寧ろ心ときめく空間なのかもしれません。結局、その人がどんな気持ちで生きているのかが全てにおいて一番力があること。なんだな、と教えられました。
トイレが汚くても、部屋が汚くても、その状態でも心地よさを感じられるのであれば、関係ないということ。エイブラハムも言ってたじゃない。ほんとなんだ。
義祖母、それを証明してくれている貴重な存在です。
「掃除することでまず心が変わる、そして現実が変わる」ということはあると思っていますが、何事も絶対はない。その人が信じて感じて考えていることがその人にとっての真実なんだと改めて思いました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました(*^^*)
義祖母登場動画↓↓↓